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神恵内村 神恵内厳島神社本祭

今回、初めて取材させていただく神恵内厳島神社であります。
ここには常勤の神職はいないらしく、仁木町・仁木神社の宮司が兼務している神社であります。神楽保存会もあり、松前神楽の歴史を見ても取材しなければならない神社と思っていました。本祭では、神楽保存会の舞いを見ることが出来ないが、本祭でいい神楽舞を見させてくれたらと思いつつ、つい遠くまで足を運んでしまいました。

神恵内厳島神社の由緒は、

文禄3年(1594)5月、近江国柳川村田付城主田付景春が、3代目兵庫介景輔の3男景豊に奥羽地方の漁民を誘導し、西蝦夷地フウーレ(神恵内)を開発した。慶長8年(1603)5月田付家居城の例に習い、保食神を祭神として創祀。承応元年5月15日、漁業並に航海等に威徳を垂れ給う神霊を祀り将来の隆昌を祈らんと、主祭神に安芸国宮島の厳島宮より市岐島姫大神、配神に播磨国海神社より大綿津見神、讃岐国金毘羅宮より大国主大神を祀る。宝暦2年(1752)5月15日、領主12代松前若狭守資広公より富留(古宇)総鎮守大弁財天の社号を賜る。天明2年(1782)5月、領主松前道広公自筆の神号額を付けられ、松前家崇敬神社21社の格式となる。安政2年(1855)2月、社号を厳島宮とする。明治4年社号を厳島神社と改称す。明治8年郷社に列せられる。明治33年4月21日、神恵内大火の為、社殿を焼失。明治43年本殿、大正元年、幣殿・拝殿を造営。平成10年7月社殿改修現在に至る。


※いつもながら、北海道神社庁から引用

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神恵内厳島神社

正直、神恵内については知らなかったことが多かったです。松前家崇敬神社21社の格式になり、松前藩の歴史がここにまで来ているとは思わなかったです。


昨夜、神輿の火渡りをした跡らしき黒い線が目立っていました。昨年取材した、古平町の猿田彦の火渡りがこちらでも行われているようで見たかったです。近いうちに行こうかと考え中であります。神楽保存会の神楽も見たかったが、日程が合わずこちらも近いうちにと考えています。

カメラレンズ故障によりメーカーの異なるカメラを2台持ち、撮影しています。慣れない作業の為に少々手こずりました。

行われた神楽舞は、弊帛舞(みてくらまい)、福田舞(ふくだまい)、二羽散米舞(にわさごまい)、兵法舞(へいほうまい)、翁舞(おきなまい)、三番叟(さんばそう)、三条神楽より「太平楽(たいへいらく)」、注連祓舞(しめはらいまい)、十二の手獅子舞・五方(ごほう)、佐々良(ささら)の松前神楽8座、三條神楽1座が行われました。

弊帛舞(みてくらまい)、榊舞(さかきまい)、祝詞舞(のりとまい)とも云います。
その神社の宮司が朝夕玉垣内に参進して、神域を祓い清め、神拝して御幣を奉るという、神職の神明奉仕の姿を表した舞いであります。函館と近郊の町で行われる際には、松前神楽奉納となる時、斎主(その神社の宮司)が最初に舞われる舞いであります。

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弊帛舞(みてくらまい)

福田舞(ふくだまい)、跡祓舞(あとはらいまい)とも云います。跡祓舞(あとはらいまい)は、宵宮祭で獅子舞を行わない神社で、一番最後に行うことから跡祓(あとはらい)とも云います。四方の神々を拝し、祓い清めて干ばつ、暴水、火難の災いを除き、五穀豊穣を祈願する舞いであります。

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福田舞(ふくだまい)

二羽散米舞(にわさごまい)、庭散米とも書き、鳥名子舞(とりなごまい)とも云います。
鶏は天の岩戸開きに暗黒の世より光明の時を告げ、世の始まりに地を踏み固めた瑞鳥であるとされています。雌雄二羽の鳥形の冠を頭に冠し、羽根には雄は瑞雲つまり天を表し、雌は海の波を形どり地を表して、雌雄親しみ和合して、世の中が平和である様を表し、神の恵みの米をまき散らし、千五百秋の瑞穂の国の五穀豊穣を祝う舞いであります。

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二羽散米舞(にわさごまい)

兵法舞(へいほうまい)は、松前藩の武威を及ぼし天下泰平を祈願する舞いです。最後に勝利した藩主が、敵の武器であった長刀を取り歓喜して一人にて舞います。アイヌと和人の戦いを表した舞いで、北海道の歴史を表現した舞いであります。
しばらく行っていない事もあり完全な舞いではなく、和人の方が勝ち戦勝を舞う姿は、どういう訳か逆になり少々見ていて困ってしまいました。これでは折角、珍しい舞いを見せても上手く伝わらないと感じられました。

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兵法舞(へいほうまい)

翁舞(おきなまい)は、面白く背が高く心柔和な老翁が、額にしわがよっても身体堅固で幾星霜を経る間に、身分が高い位に登った姿で、舞中に願意を言葉に表し、息災延命、立身出世を祝って舞う福禄寿の備わった最も目出度い舞いであります。

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翁舞(おきなまい)

三番叟(さんばそう)は、背が低く、顔が黒く、精力絶倫にして健康長寿、正道徳行の翁が、才智多い子孫に恵まれ自身もまた長寿であることを喜び舞う、家門の隆昌、子孫の繁栄を祝福した舞いであります。

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三番叟(さんばそう)

三条神楽は、小樽・札幌・室蘭等で行われている神楽で、新潟県三条市の八幡神社に伝わる神楽であります。詳細はわからないので、調べてみると、

太平楽(たいへいらく)は、天の岩戸の変の時、イシコリドメノミコトが天の金山の鉄で、やたの鏡を造り、その完成を祝ったという故実による。太平楽とは、広辞苑によれば、”すきほうだい” ”でたらめ” ”のんきにかまえる”などの意味があり、この舞も二枚の盆を左右の手にそれぞれ一枚ずつもって即与に曲芸的に舞ったと云われてます。


とあります。こちらから引用しました。

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三條神楽・太平楽(たいへいらく)

注連祓舞(しめはらいまい)、〆引(しめひき)、七五三祓舞(しめはらいまい)とも云います。白扇を四方四隅中央を祓い、真剣を抜き天井に十文字の縄を張った注連縄を切り払い、悪魔退散、国土安穏、千秋万歳を祝して舞われる舞いであります。

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注連祓舞(しめはらいまい)

十二回手が変わるので、十二の手獅子舞と言われる云われています。1年十二ヶ月を形どり、獅子幕も十二反使用するを本格とするのであると云われています。五方とは、東西南北と正中(真ん中)を祓い固め蝦夷鎮定、国土安穏を祈る様を表しています。

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十二の手獅子舞・五方(ごほう)

コミカルな楽に変わり猿田彦が登場し、暴猛な大獣獅子を手玉にとって遊び戯れ、平和な世の中を招く悪魔降伏の舞いであります。
太平楽を行われた方が、この猿田彦を演じていますが、以前せたな町で見た方と同じ方が猿田彦を演じていましたが、とてもこの道化が上手く関心しておりました。道化も奥が深いと感じさせる素晴らしい佐々良でありました。

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十二の手獅子舞・佐々良(ささら)

連日の神楽の取材にして、昨年よりもあまり疲れがないのは不思議です。昨年は、疲れすぎて取材困難になり、休む事もありましたが、今年は無理せず行こうと思っていました。こちらに来たら天気が良く、気分も良くなりました。さて、今日は確か寿都神社の宵宮祭だったと思われるので、寿都まで帰り道であるので寄ってみようと思います。

テーマ : お祭り&行事
ジャンル : 地域情報

tag : 北海道 松前神楽 神楽 神事 神恵内

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太平楽?

太平楽とは、初めて聞きましたね。面白そうな舞ですね。
プロフィール

及川 修

Author:及川 修
松前神楽は、松前藩主自ら祭主となり、藩の城内神事として行われ始めたのは1674年から明治の廃藩置県まで、神職により御城神楽として隔年に行われた大神事であり、その作法は厳格であります。約350年の歴史を持つ北海道道神事芸能で、比較的に開拓して歴史の浅い北海道では珍しい郷土芸能であります。松前藩主が松前神楽を見て、「よくできてそうろう」とおっしゃったことから、「良き候」とブログタイトルに入れ、松前神楽の魅力や北海道の郷土芸能を紹介しております。渡島・桧山地方では近くの神社で奏上されているので、お祭りの際は誰でも見学可能です。

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